不燃ごみ

日中は日差しがきついが、からっとした秋らしい陽気になった。
風呂上がりは半袖。ふとんをかけずに眠りに落ち、明け方寒さで目が覚める。

さて、今日は燃えないごみの日だったか、集積所に出されているゴミを見て
「燃える、燃えないに関わらず、何にでもゴミってあるのではないか」
と考えはじめた。

例えば、食べ物、物質、情報、人間関係。
どれも飽和状態で、ゴミがあるからスッキリしない。

「全部捨てちゃえば いいんじゃないか」
と、乱暴なことを考える。

全部捨てて「どうしても必要なもの」だけ、拾うルールにしてみるのはどうだろうか。

人には様々な顔=仮面がある。
しかし、その仮面は本当に必要だろうか。

自分を幸せにすることが、生きる目的ならば、
代理がきく仮面はゴミだと言える。

お金にも、時間にも、物にも、者にも縛られないとしたら、
「なんにも考えないで、好きなことをして過ごすこと」が生きる目的だと言える。

拍子抜けするほど、シンプル過ぎる。

「君のかわりはいない」と誰かの歌詞にあるが、
割と「代わり」がある。

嬉しい、楽しい、悲しい、寂しい。
この「感じること」だけは、他の誰も代われない。
感受性の違いが「個性の一部」であると言えるのではないだろうか。

赤ちゃんに学ぶことはたくさんある。
赤ちゃんは我慢をしない。
お腹が空けば飲む、排泄する、泣く。
常識というシャワーを浴びて、大人の仮面をつける。
その時「感じること」を置き去りにしてしまうことが、往々にしてある。

「大人が忘れてしまったこと」を教えるために、
赤ちゃんは生まれてくるんじゃないだろうか。

抱っこされている赤ちゃんとすれ違いながら、
「きっとこの方は神様に違いない」と
素直にそう感じた。

よかったら、、、

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むんや

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「なんとでもなるさ」を合言葉に。 挑戦は続く。詳しいプロフィールはこちらから
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