なりたい自分になる?

紅葉してきた木

自分のことが一番見えない私。

他人のアラは目につく。
一体どうしてだろうか?

いつも他人と「誰か」を比較して
「あいつは、できてない」
「あいつは、なってない」
と、言いたくなっている。

たぶん、自分が嫌なのにガマンして来たことを他人がやっているのを目にした時、羨ましく感じて
「あ、ズルい。私の時はガマンしたのに。」
と、心の中で思ったりしている。だから「誰か」って「自分」だ。

ガマンしなくちゃいけないことって、そんなにあるのかな?
会社など組織に属しているならば、守らなきゃいけないことはあるじゃないか。
そう即答できそうだ。

それ、ホント?

だって、組織の中に
「あー。あの人はああいう人だから。何を言ってもしょうがない。」
って諦めて許してもらえている人がいたりする?

なんだかんだと図々しさ満開で、堂々としている人。

なんで組織の中に鎮座していられるのか。
排除されることになったとしても、
「じゃーね。」って手を振って出ていくような潔さがあり、他へ行っても生きていける自信がある。
自信のカタマリは魅力的。

1個置いておくと安心するお守り。
必勝祈願のダルマみたいな存在。

どんなことがあっても起き上がるし、ほとんど動じない。

たぶん、存在そのものが価値。
恐るべし自然体。

他人が「~しなくちゃっ」て努力しているというのに、我関せずでマイペース。
でも、そんな人になりたい自分がいる。

昔から「チャッカリしている」とか、
「美味しいとこをもっていく」とか。褒め言葉ならいっぱいある。

褒め言葉のことを「別名:罵詈雑言 」とも言うが。

どうも、腹が立つヤツのポイントは
「なりたい自分のイメージを他者が振る舞ったとき」らしい。

今までに、ぶつかってきた方々の罵詈雑言を振り返り、

「そんなに私のように振る舞いたかったのか。信じらんない。」
と、びっくり仰天する。
小さな小さな出来事だからだ。

例えば、等分に何かを配る。余りが出る。
困惑顔で、「どうぞどうぞ」「いえいえ、どうぞ」なんて譲り合いをしたりしている。
横から手を伸ばして、
「じゃ、遠慮なく」といただいたりした。
遠慮しろよ!と言いたかったのはわかりきっている。

腹の探り合いなどしたくないので、強引に終わらせた結果、
「チャッカリしている」と褒めていただいた。
でも、よく考えてみると、こんな事するのは人間だけかも知れない。
食物連鎖をみても弱肉強食だし。

犬や猫のお母さんは子供が離乳する頃に、お腹の中の半消化の食べ物を吐き戻すことがある。
子供らが食べないでいると、慌てたように自分ががっついて食べてしまう。
ボーっとしてると、ご飯を横取りされてしまうよ、と教えているのだという。

さて、話をもとに戻そう。
私が腹立たしく思う人間像を描いてみる。
どんな人間に腹が立つのか。

口先だけで、実行しない。
何を考えているのかわからないほど、しゃべらない。
他者の悪口ばっかり言っていて、動かない。という不毛な時間を過ごしている。
面白くないのを他者のせいにする。
他者に罪をなすりつけて、逃げる。

・・・なんて嫌な人間なんでしょう・・・。

「私はこんな人間になりたい!」
と憧れて生きているらしい。
ほぼ変人。まんま変人。
間違いない!!こんな奴になりたいなんて、変人だ!!

・・・ホントだろうか。

信じたくない。認めたくない。
こういうものにわたしはなりたい??
という抵抗が強くあるから、

きっとホントなんだろうな。

だとしたら、まわりの人間に感謝するしかないではないか。

ありがとうございます。
おかげさまで、存在しています。

よかったら、、、

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むんや

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「なんとでもなるさ」を合言葉に。 挑戦は続く。詳しいプロフィールはこちらから
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