大切にしたいもの

何にでも見える木

日本社会が戦後のままのシステムでいることに、違和感を感じる。

戦後生きる為に必死だった頃、戦争の傷跡としての社会的弱者を救う目的で、役所などの公的機関が作られた。
時代は流れているのに、役所関連は柔軟に変化することが無かった。
結果として、おかしなことで溢れかえっている。

まず、いじめ。
会社でのパワハラをガマンしてお父さんが家に帰る。家に帰ったら不機嫌で妻や子供に当たる。
すると、妻や子供が別の自分より弱いと判断した人間をいじめる。
良いことではない。
たいていいじめられるのは、社会的弱者が多い。

社会的弱者は一定数の割合で、この先も生まれてくる。
遺伝子に組み込まれているからだ。だからといって、モチロンいじめて良いわけじゃない。
良く考えて見て欲しい。
一定数の割合で、生まれてきている仲間のことを。

生まれながらに、理解されにくい特質を背負っている。
健常者と呼ばれる人間の分まで、余分に背負ってくれている。
肩代わりしてくれている。

実は健常者と呼ばれる人間のほうが、社会的弱者におんぶに抱っこしているのだ。

だから、働ける者はうんと稼いで良いと思う。
稼げるんなら、際限なく稼げばいい。弱者に「ためらうことなく、手を差し伸べるため」に。

頭の良さを活かして、貧困の脱出手段を考え抜くのだ。
いじめと貧困を連鎖させては、国が潰れていく。
世界が貧困で溢れかえれば、人間がほろびていく。

いじめと貧困は、人の心をガサガサに荒れさせている。
もっと、やさしさが欲しい。
心が潤っていれば、適度に弾力があり、何があってもしなやかに回復できる。
しかし、現実は「ありのままの自分」で、「拒否された記憶の無い人間」を探すほうが難しい。

日本人特有の「本音を言わないで、腹を探る」というものがある。
会議などで、口火を切るのを避ける傾向がある。
そのくせ、誰かが火付け役となれば、途端に勢いづいて、批評批判が始まったりする。

必要なのは批評批判ではない。
ディベートでもない。
実行してみることだ。
経験することだ。

その上でうまく行かなかったとて、工夫することだ。
失敗を責めても、なにも生まれない。
足りないのはいつのときも工夫。
人間は、いつの時代もピンチをチャンスに変えることが出来た。

先人たちができた事は、これからも「できるに決まっている」。

いじめと貧困の問題は、「無くならない」かも知れない。
けれど、減らす事はできる。

減らすことはできる。

あなたが稼げばいい。

よかったら、、、

The following two tabs change content below.
むんや

むんや

「なんとでもなるさ」を合言葉に。 挑戦は続く。詳しいプロフィールはこちらから
むんや

最新記事 by むんや (全て見る)