腰掛けママ

むかし、デスクワークをする女性に向かって、先輩の男性社員が
「お前、どうせ腰掛けだろ。結婚したら、仕事辞めんだろ。いいよなぁ。女は。これだから、女は教えても、教え損。」
などと、ネッチネチ言っていました。

心の中では、
「お前が平日の昼間に仕事をしないで、女性社員の背後に張り付いて、パソコン操作がなっていないと、いびっていること。土日になると休日出勤でお金を貰っていることを社長にバラすぞ。」
と、毒づいていました。優しい女性の先輩に向かって、男性の先輩がしているのは、男尊女卑です。
今なら、セクハラ、パワハラ、モラハラ。
この生きている化石は、電気が通っている辺りで、今も生きているのでしょうか。

さて、仕事の多様化という言葉が歩き出しました。
もはや、お母さんという仕事も、
「腰掛けママ」
といった位置になりつつあるのかも知れません。
誰もが、何かしら社会参加して生きる。
当たり前のことが、当たり前にされるように変わっていくのは、素晴らしいことだと思います。

仕事というと、必ず労働の対価を想像しますが、何もお金である必要はないなと、思っております。
例えば、お母さん業が終わり、ご飯をもりもり食べる世代の人が居なくなって寂しい人が、子育て世代の働く人に代わって食事づくりを担当する。体操着や上履きを洗って、子供のお世話の一端を担う。

そんなことをを何人かの人で、チマチマと作業するのは楽しいものです。
大したお金など、出ないとしても、目の前でパクパク美味しそうに、ご飯を食べてくれたら、それが何よりの報酬となるのです。
そこに、障害、年齢、性別は無関係。

「自分が必要とされている」という感覚は、何ものにも代え難いものです。
そして、それを担ってもらえた親は、親としての余裕を取り戻すことができます。
いじめや虐待と困りごとのある家庭、孤立している人と人とを結ぶ。

生きていてよかった。

一人でも多くの人が、そう思える居場所づくり。
そこを目指して、チマチマとパジャマのズボンのゴムを入れ替えていました。

小さな私は、社会の歯車として、チマチマと活動していけたらなぁと思っております。
「小さなことしか、しない」をモットーに、精一杯楽しくて、ホッとする、お家のコタツみたいな居場所になれればいいなぁ、と妄想して宙を眺めてうっとり。

私の価値判断の基準は、楽しいかどうか、美味しいかどうかだけ。

そして、やっぱり食べ物を抜きにしては、仕事を語れません。
私が創る仕事というものには、100パーセント何らかの形で、
「食」が絡んでくることでしょう。

今日は馬鹿でかいおむすびを二つ食べました。

食べられるって、幸せなことです。
美味しいと思えることって、特別なことです。

美味しくいただきました。
ごちそうさまでした。

よかったら、、、

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むんや

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「なんとでもなるさ」を合言葉に。 挑戦は続く。詳しいプロフィールはこちらから
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