天からのプレゼント

昨日、不知火というミカンを食べ、夏ミカンに手を出した後に、ミカンが届いて、いただきました。

「手柄を立てる」という言葉があります。
この言葉から、すぐ頭に浮かぶのは
将軍などに仕える武士が、敵の首を持ち帰ってくる姿です。どんな手柄か知りませんが、殺人に違いないのです。
ですから、歴史というだけでアレルギー反応を示す私からすると、「手柄を立てる」という大義名分さえあれば、他人にどんな事をしても許されるという、暴力への言い訳に聞こえます。

私の身体は残念ながら、もとには戻りません。
ですから、書く以前に治療が必要ですし、ここにさらに追い打ちをかけるように、家族という身内まで北風を吹かせました。
私は引っ越しを検討して、不動産屋からひどい物件を紹介されたり、追いかけ回されたり、様々な圧力をかけられてきました。
生きているのがやっとでした。

そして、おつきあいできませんと、お断りした人間からたちと、無理矢理くっつけようとされています。
私はお断りしていますから、お断りなのです。

姑息な手段を使って、「お手柄」などと、喜ぶのは、「足柄山の金太郎」よりも、はるかに幼いのです。
お付き合いどころか、竹の定規で枕が壊れるほど、絶叫しながら、叩きました。

「謝れ!あやまれ!」
バシン! バシン! バシン! バシン!…

もう、憤りしかありません。
心理の学びをした人間が、いったい何をやっているのですか。
学んだ事が実践できていないなら、どんな資格を掲げても、看板の見掛け倒しというものです。

私は看板を大したもんだと、見上げていたのですが、
今となっては、物置きのトタン屋根の方が役に立っているなぁと、思えてなりません。
トタン屋根は、雨から中のものを守りますが、看板は何の役にも立たないどころか、見上げている私に落下直撃してきました。

信じられないことが、私の人生には多過ぎて、映画を観て感激できる人間を羨ましく思います。
面白いコメディ以外、私の人生を超えるほどのドラマというものが存在しないのです。

私が欲しいものは、普通と呼ばれる平穏無事な生活でした。

過剰な演出や脚色はゴテゴテとデコレーションし過ぎて、本質の美しさを欠いてしまった。

そう、言ったらどれほど私が呆れているのかが、何となく伝わるのでしょうか。

よかったら、、、

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むんや

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「なんとでもなるさ」を合言葉に。 挑戦は続く。詳しいプロフィールはこちらから
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