見えない支え

物、者、モノの悩みごと。捨てる気になれば、ほとんど全て捨てられる
じゃあ、なぜ捨てなかったのか。

理由は「常識」と呼ばれる罠にはまっているから、ではないだろうか。この常識という罠は、非常に巧妙に作られている。
それ故に、なかなか罠だと気づけない。

常識的に生きる。
それは、果たして生きやすいのだろうか。
少なくとも、私は窮屈すぎて捨てちゃった。
相手の振りかざす「常識」とやらは、私にとっての「非常識」である事が、多かった。

なぜだか、学校の先生や権威が言った言葉というものは、自分の中で咀嚼されたとき、矛盾していた。鵜呑みして受け売りする人に「なぜそれが正しいと言えるのか」と訊ねると、こたえられずに激怒した。
考えないで従うのは、危険なことだと思う。
自分の意に反して従えば、辛くなって当然だ。
その証拠を示すかのように、自殺者は後を絶たない。

誰もが柔和な表情で、暮らせる環境。
人間は自然から離れたら、生きられなくなる。
簡単に病気になる。
そんな弱々しく、単純な身体を持つ人間。
田舎と呼ばれる豊かな環境で、食べ物を作り暮らす。
風が草花を揺らし、ミツバチが飛んでいる中、仕事に没頭する。

ぺこぺこになってから、ありつくご飯が不味かろうはずもない。
腹減っているときに、不味いもんなしなのだ。
毎日の食事に不満があるときは、身体が自然を欲しがっているときだと感じる。
不自然なことへのストレスが、人を過食に走らせてしまう。何を食べても満足感は得られない。

例えば、山登りをして、おにぎりに文句など出るだろうか。
山頂のひらけた景色を楽しみ、飢えと渇きが癒せれば、それだけで満たされているはずだ。

あれがなくちゃ、これがなくちゃ。
手に入らないから、幸せじゃない。
という不平不満ばかり。
「本当は違うでしょう」と言いたい。

欲しいものは、物ではなくて、人とのつながりのある豊かさ。
自然がもたらしてくれるもの。
風景、風、雨、太陽、動植物などなど。

都会の無機質に思える建物でさえ、宇宙という自然からの贈り物でできている。
星を見ることは、贅沢なことだと思う。
夜通し消えない街中の灯りが、星を見えにくくしている。
皆気づいているからこそ、旅行に行きたがる。
時々何処かへふらっと出かけなくては、自分を保てない場所に住むのは、馬鹿馬鹿しい。
そう思って実行する人間は、どれだけいるだろう。

田舎暮らしを実現させれば、確かに物は無いかもしれないが、自然という豊かさは何ものにも優ると思う。

失った「農耕民族の穏やかさ」という忘れ物を取りに帰りたい。

よかったら、、、

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むんや

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「なんとでもなるさ」を合言葉に。 挑戦は続く。詳しいプロフィールはこちらから
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