好きにしよう

今日が自分の人生最後の日と思ってみる。

そうした時、心残りになることは何だろうか?
心残りだらけで、死の瞬間に後悔する。
人生の最後が、そんな終わり方になるのは嫌だ。

と、いうことで、私は誰に何を言われても、馬耳東風。
ぷらす馬の耳に念仏で行くことにした。
どんなに有り難い助言も、助言として聴き、心に留めておくのみで、それに従わされるという事は無い。

いつの時も、誰の場合でも、助言が正しいとは限らない。なぜなら、皆違う人間だからだ。
違うタイプの人間の助言が、オールマイティに使えるわけもない。
もっと、早くに気付ければ良かった。
でも、遅くもない。
たった今からでも、充分に間に合う。

一度きりの、後戻りのない人生。
一方通行でしかない道だけれど、ぐるぐる曲がってもとの場所の近くを通ることはできる。
立ち止まっても、転んで歪んで、ふて寝したとしても、そのうちホフク前進してでも、前へは進む。
「ただ犀の角のように進め」という言葉の通り、
自分を大切にして、強引に思われる行動をして行くことにした。
きっと、他人の目からみれば、なんてことないようなものばかりなのだろう。
私の捨て身の覚悟など、他人からしたら、ただの当たり前だったりして、案外どうでもいいということだ。

くだらない。実にくだらない。
私がどんな生き方をしようと、誰が何を言おうと誰も責任など取れない。
自分で責任を取るしかないのだから、好きなように生きたらいいのだ。
罪悪感を感じるのも、楽しむのも、全部自分が選んでいい。

どんなに非難ごうごうでも、構わなかったのだ。
もう、脱力してしまって、動けない。
馬鹿馬鹿し過ぎて、肩透かしを食らった気分だ。

自分の気持ちに正直に従うこと。
自分の期待を自分が裏切ったり、気持ちをねじ伏せないこと。
自分にとってのいい子というものは、総じて他人からは嫌われると思っておけばいい。

それでいい。
自分がまず幸せであること。
それがあって、初めて他人のほうに手を貸せる状態になる。
決して自分に無理をさせないようにすること。
無理を強いられたら、断ること。
その結果、相手に嫌われるとしても、断った自分自身を自分が責めるはずがない。

自分らしく生きていると、幸せはまわりに連鎖する。
それを「愛」と呼ぶのなら、自分にも愛はあるし、これから増やしてゆくことも可能だ。

取り返しのつかないこと。
自分を殺すこと。
その他は案外なんとでもなる。

自分に正直に従うという事は、学校教育にとって邪魔だった。
従順な犬は、縦社会にとって都合が良かった。
だって、逆らわないで、言うことをきいてくれるんだもの。

私は誰かの「都合のいい犬」になんかならない。
ちゃんと意思もあるし、やりたいこともある。

気分屋の猫と評されて、光栄だと思っておくことにしてしまう。
おおかたの人間から、「あー。あの人はそういう人だから。」と諦めてもらってしまえば、肩の荷なんてない。

ハイ。どうしようもねぇヤツです。
いずれまわりは諦めたり、呆れて
「しょうがねぇや」と、ニンニクしかない世界で生きてゆくことだろう。

よかったら、、、

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むんや

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「なんとでもなるさ」を合言葉に。 挑戦は続く。詳しいプロフィールはこちらから
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