点の1個として、モノ言う個性

この世の中に同じ人間は存在しない。この事実をどう捉えているだろうか。
人の多様性、仕事の多様性を考える時に
「でも、・・・なんです。」と相手が答えたならば、その話に耳を傾ける事が必要だと感じている。
それをすることで、本当は何を伝えたかったのかが見えて来る。
ちょっと耳を貸して欲しい。
他人がみな自分と同じように、言葉で伝えるのが上手だと思わないで欲しい。
痛みを知った私だからこそ、伝えたいことがある。
「あなたと同じようにはできない」と言う彼らのほうが、物事の核心を突いているように思う。
(もしもその場に居合わせて、すごい態度で悪態をつかれたなら、相撲取りよろしく塩をつかんでお清めにふりかけるかもしれないが。)
丁寧に話を聴いて、必要な人、物、事とつなげる事が重要だと思っている。
「ダメ」というのは簡単だから。
わたしはダメで、人間が出来ていないのでメディアを見聞きするたびに
「ん?」と違和感を覚える。疑いのまなこを向けて考えてみる。
もっともっとダメでも、人って生きて行けるんだけど。
なんにもしていないように見える人が、努力してたりするんだけど。
本当に好きなことだけにして、あとを捨ててしまえばいいのなら、
私は今を大事にして映画を観て、変な物語を書いて、自然のなかを散歩する。
必要ないものに縛られるからうまくいかないんだ、断捨離しようと言うなら、
家を捨てて、身内を捨てて、持っているのはお絵かき帳、色鉛筆、ノート、スマホだけになる。
身軽になった時、寂しさの津波に飲まれて流される自信がある。
何かの詩に
「無駄なものに囲まれて暮らすのも、幸せ」とあった。
わたしは無駄なものと、糾弾されるものが愛おしい。
人の価値観は摩訶不思議。
なにが宝物かが違うから、違う価値観に出会うと
「えっ?そこ?」
と、こだわりどころに目が釘付けになる。
人の魅力は感性で伝わるものだから、
わかる人にはわかる。
わからない人にはわからない。
どちらでも良し。
とどのつまり、どっちに転がっても人生は成立しちゃう。
なんともならない事まで
なんとかしようとしなければ、
なんとでもなるさ